長女からみたバラーラデーヴァというキャラクター

・悪として描かれるバラーラデーヴァ

弟であるバーフバリから王座を奪うため、実母をも騙し、卑劣な方法で陥れた悪役としての彼。彼をそこまで追い詰めたのは長子というコンプレックス王国という呪いに縛られていたからだと思う。

彼は人々の期待と恨みが生み出してしまった呪われた子なのだ。

 

・長子として生まれたバラーラデーヴァ

長子なら誰でも経験していると思うが、第1子に対する親からのプレッシャーというのは物凄いものなのだ。それも幼い頃から。そして彼は王というとてつもないプレッシャーを与えられてきた。

きっと彼も"兄なのだから"と言われ続けてきたんだろう。

"兄なのだから"強くなければ。"兄なのだから"優れていなければ。"兄なのだから"王になるのは自分でなければ。そうやって自分を追い込み続けてきたんだろう。

皮肉なことに彼の実父のビッジャラデーヴァも兄であり、弟に王座を譲っているのだ。そんな父であるから、呪いのように「お前が王になれ」と言われて育てられたんだろう。

作中で彼がこぼした「幼い頃からお前(マヒシュマティ王国)に苦しめられた。なぜ私が求めるほどにお前は遠ざかってゆくのだ。」というセリフ。もう泣いた。めっちゃ泣いた。

彼は父の、王になることが叶わなかった悔しさと、弟に王座を奪われたという憎しみとを一身に背負わされ、王国という呪いの犠牲者となった1人なのだ。

彼は王になるために生きてきたのに、自分のものになるはずであった王座を弟に奪われた。実父ですら王である自分でしか認めてくれないのに。

そんな環境で歪まずに生きていけるだろうか。

彼は自分の存在意義を王座につくことでしか見い出せないのだ。

そんな苦しみがバーフバリへの恨みへと変わってしまった。

 

・デーヴァセーナの鎖

彼の心は一度バーフバリが王であると宣言された時点で壊れてしまっていたと思う。あれは彼にとって実母に見捨てられたも同然だろう。

やっているのは戦なのだ。人が死んで当たり前なのだ。

彼の判断は間違ってはいなかったと思う。誰だってそーする、おれもそーする。

でも相手は神だった。あんなもん人間じゃないね。バーフバリは神。でもバラーラデーヴァは人間なんだ。

神が死んだ今、彼の積年の恨みがあの程度で晴れる訳もなく、怒りの矛先はデーヴァセーナへと向かう。彼はデーヴァセーナを鎖に繋ぐことによって自我を保っていたんだと思う。

あの鎖を見ることで"兄としての自分""王としての自分"の自尊心を保ち、バーフバリへの恨みと怒りを紛らわせていたんだと思う。実に人間臭い。

 

・王の凱旋

 自らが王となった25年間。まだ鎖に依存している所を見ると何も満たされなかったんだろう。彼が王になる際に起きたバーフバリコール、そして抑圧政治、もちろん国民には好かれていない。国民に認められていない国王なのだ。

25年経っても国民はバーフバリの影を追う。死してもなお比較されるのだ。勝てるはずもない相手と比べられることがどれほど辛いか。

誰も、父親ですら、自分を見てくれない。そこで無理矢理にでも自分を認めさせようと開いていたのであろう誕生祭で突如始まったバーフバリコール。悲劇としか言いようがない。そして現れた、自ら葬ったはずのバーフバリの姿そのもののシヴドゥ。この世に神はいないのか。

結果、息子も自分も殺されてしまうわけだけど、彼はバーフバリという作品において人の象徴のような存在だったんじゃないかと思う。彼がいたからこそバーフバリが神と崇められ、この神話的な物語が成り立ったのだ。作中では悪役とされていたけど、彼も人並みの愛を与えられて比較されていなければ素晴らしい王になっていたと思う。私もバーフバリ大好きだけど、長女という立場から彼のことを思うととても苦しい。

 

今一度声を大にして言いたい。

”お兄ちゃんなんだから” ”お姉ちゃんなんだから” というのは呪いの言葉なんだ。